今日は、埼玉高速鉄道「浦和美園駅」についてです。
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「 ひな人形 」が登場
2018年2月14日に改札内に7段の「ひな人形」が登場しました。
ひな人形の両脇を飾るのが、埼玉高速鉄道のキャラクター「美園みはと」と「川口みその」です。
何故、駅にひな人形?っと思われるかもしれませんが、
浦和美園エリアは、「さいたま市緑区」と「さいたま市岩槻区(旧:岩槻市)」があり、岩槻といえば「人形のまち」と呼ばれており、特に「ひな人形」が有名なんです。
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引用:岩槻人形協同組合「岩槻の歴史」より
江戸時代に始まる人形の歴史
岩槻の人形づくりの歴史は、日光東照宮の造営と深いかかわりがあります。約370年前の寛永年間(1634年~1647年)三代将軍徳川家光公が、日光東照宮の造営にあたって全国から優れた工匠を集めました。
当時岩槻は、日光御成街道の江戸から最初の宿場町であったため、東照宮の造営や修築に携わった工匠たちの中にこの土地に住み着いた者も多く、その人々が付近に数多く植えられている桐を使って箪笥などの製品を作るようになったと言われています。
その中には人形づくりをする者もいて、その技術を広めたといわれます。
新版風土記によると、元禄10年(1697年)京都堀川の仏師恵信が岩槻で病に倒れ、時の岩槻藩主小笠原長重氏の藩医の治療を受けて回復後も岩槻にとどまり、付近で産出される桐粉に着目し、しょうふ糊で練り固めて人形の頭を作り始めたと言われています。
岩槻周辺は桐の産地だったので原料の桐粉が豊富で、しかも人形頭の塗装に使用する胡粉の溶解、発色をよくするために重要な水に恵まれていました。
こうして恵信の残した桐塑頭の技法は、藩の武士や農家の人々の内職・趣味・兼業等によってその後も受継がれ、幕末には岩槻藩の専売品に指定されるほど重要な産業となり今日に受け継がれております。
現在、「江戸木目込人形」・「岩槻人形」が経済産業大臣から伝統的工芸品として指定され、生産量・生産額とも日本一の人形のまちとなっています。
浦和レッズ 2018年ポスター掲示
埼玉スタジアム2002をホームスタジアムにするサッカークラブ「浦和レッズ」の2018年最初のポスターが掲示されました。
今年から「URAWA REDS」という名称に変更し、ロゴデザインを一新されました。
ホーム初戦は、2018年3月4日 サンフレッチェ広島戦です。
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「 ガチャガチャコーナー 」移動
大型ステンドグラス工事に伴い、改札近くにガチャガチャコーナーが移動しました。
コーナーを移動してから、利用している人が増えたような気がします。
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「 青いショーケース 」発見
今回の大型ステンドグラス設置に伴い、移動を強いられてしまった「青いショーケース」前回の記事では1つ発見とお伝えしましたが、もう1つ発見しました。
※気付くのが遅かっただけだと思いますが・・・。
東口側にあるエレベーターを降りた目の前にありました。
以前は、浦和レッズ関連のグッズ等が飾られていましたが、今は地域情報を中心に掲示されています。
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「 大型ステンドグラス 」工事が始まる
2018年2月20日夜、帰宅時に駅を確認したところ、大型ステンドグラスの工事が始まっていました。
黒い養生ボードみたいなものが、12枚設置されていました。
工事前から継続して書いている記事がありますので、併せてご覧ください。
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最後に
春に向けて、浦和美園エリアも様々なイベント等が増えてきますので、
「浦和美園駅」「埼玉スタジアム2002」を中心に情報を発信していきたいと思います。
浦和美園駅 基本情報
建物名 | 浦和美園駅 (埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線) |
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副駅名 | 副駅名「浦和美園とともに歩む 埼玉りそな銀行最寄駅」 |
住 所 | 埼玉県さいたま市緑区美園4-12 |
アクセス | 埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線「浦和美園駅」 徒歩0分 |
開業日 | 2001年3月28日 |
駅番号 | SR26 |
駅カラー | 赤(Red) |
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